オルタナティブな村人だからこそできること
2016/06/06
民俗学に触れる日々を送っています。
村と世間
いま読んでいるのは『日本の民俗 6 村の暮らし』吉川弘文館。この中に面白い箇所があったので、ご紹介します。村社会で生きていくための術についての話。山口県の周防大島の話を例に挙げています。
旅をして世間を見ることが、村を客観的に見る力を育て、村の良さも悪さも同時に理解する。そのために周防大島ではこれを「世間をする」といって、若いうちから男も女も島の外へ出て世間の風に吹かれる必要性を認めてきた。数々の出稼ぎもその延長上にあったと理解できる。
そうして、村における態度と外の世界に向き合ったときの態度の二つを同時にあわせもつことが村に生きるうえでの村人の素養とされた。
(中略)
この例は、村(島)にあっても、決してそこに自足して、また自閉して外の世界と没交渉のままに村(島)人は生きてきたのではなく、外の広い世界を世間と称しながらそこへ積極的に足を踏み出す生き方をしてきたという事実を再認識させる。村は旧弊な小さな世界だと見る向きがあるとすれば、それは一種先入見で見ていることになる。『日本の民俗 6 村の暮らし』吉川弘文館
この話はある意味、移住者にとっては「救い」になるなーと思いました。
違うことが肯定される
私たち移住者は、どんなに頑張っても「完全なる生粋の村人」になることはできません。生まれ育った場所が違うからです。もちろん、過去の経験があって移住したわけですし、移住前の土地=ふるさとには誇りを持つべきだとは思います。
ただ、生粋の村の人と自分と、過ごしてきた時間の違いは明確に存在してしまいます。それは埋めようがありません。「どっちつかずの中途半端なヤツ」と見る人もいるでしょう。
上記の話では、その違いが肯定されているのです。
逆にプラスになることもある
それに、2つの世界に生きているからこそ、できることもあると思います。
好評だった対談でも持ち上がった話題。それは、「過疎高齢化という大きな流れに抗うために、『異端』であり続ける」ということ。
何もしないで普通にいたら、過疎高齢化の流れに飲み込まれしまうから、流れに逆らう流れを変える「異端」である必要がある。大人しくしていればいいかと言ったら、そうではないと思うんです。
ただ、忘れてはいけないのは集落の人々への感謝の気持ち。これはあたりまえですね。周りの人に助けられて、今の自分があるわけですから。
鵜川に移住した澀江氏のこのブログ記事でも、独自の考え同じベクトルのことが語られていて、とても面白いと思うんです。
それにして、周防大島っていま移住者が多いところでしたよね。確か、以前のブログで書いたはず!
これでしたね。
「世間をする」という文化がある周防大島に移住者が多いのは、偶然の一致でしょうか。