Chaos金太郎

移住10年目。新潟県柏崎の山間の集落を存続させるため活動中。

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いろんな意味で話題のハロウィンですが、いずれ伝統になるかもしれない

   

今年も大騒ぎで、いろいろと話題だったハロウィン。特に私は何もしてませんが。柏崎ではrojoにて大盛り上がりしてる様子が、Facebookのタイムラインで流れてきて「楽しそう…」と思いました。テレビやネットで「ゴミ捨てろや!」や「ハロウィンて、子どもの祭りですよね」と言った意見を目にしましたね。ハロウィンは年を追うごとに盛り上がっていきますが、賛否両論あるようです。

そんな中、こんな話も見ました。

伝統は残すもの?残るもの?

もし、時代の流れとして、 ハロウィンの方がその伝統的なお祭りよりも人々に愛されるようになっているとすれば、素直に「伝統的なお祭り」は退くべきではないでしょうか。「新人に価値 で負けたら消える」という姿勢があってこそ、「ベテランが残っていること」に重みが出るはずです。

「伝統だから残す」のではなく、

「残るから伝統」なんです。

本当、その通りだと思いました〜。伝統だから残るのではなくて、「実利」があるからこそ人々に支持され、残る。現世利益を求める日本では特に。

伝統的な村では。村の集会で座布団の順番が重要視されたり、お寺で「先祖の位牌の前で分家が何を言う」とか言われちゃうような、きびしい秩序がある。一方、祭りの後の直会では、とにかく酒を浴びるように飲んでグッチャグチャになって秩序を全く無視した「無礼講」をすることで、滞った人間関係を更新してまた日常に戻る…、というサイクルもある。伝統の中に「秩序を守る」、「みんなで飲んでスゲェ盛り上がってチョー楽しい」っていう実利があるんですよね。

「厳格に日本の伝統文化は残していかなければ、いけない」とか通用しないですよ。役にたって楽しいからみんなやる。形にこだわって残すことが目的になれば、その伝統文化は「形骸化」します。その時々の背景に柔軟に対応して形を変えていくのが、本当の伝統だと思います。

さて、私の集落も明日は収穫祭。今日は宵宮でした。

IMG_3909宵宮。

IMG_3911宵宮後、神社役員会と集落役員会。

私が住んでいる集落も「伝統的な農村」です。それでも伝統的だから、歴史が古いから、という理由では過疎高齢化の波には勝てません。現に過疎高齢化が進んでいるので。ではこれから、どうしたら集落が人から必要とされて、存続していけるでしょうか?住む人が安心して、安全に暮らせるのは必須です。住んでいて楽しいことがある、ワクワクする、っていうのが良いんじゃないかと思います。楽しい事、ワクワクすること、やっていきたいですね。

ハロウィンが実利を備えて伝統になっていくように、私が住む集落もさらに伝統的に存続していきたいです。

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