イベントを企画して学んだ3つのことは、事業の核になる
以前にzionで、大阪のMASTERPEACEというハードコアバンドを呼んで「baz×infection」というイベントをやりました。ライブ、DJ、スケートボード、キャンドル、フラワー、様々なものをごちゃ混ぜにして企画。そのとき考えたことは今でも自分の中で生きているし、これからの事業の核になっていきます。
「可能性の無視は、最大の悪策である」
イベント企画時、柏崎にはライブハウスがなくハードコアを生で聞く機会がありませんでした。柏崎でもハードコアが聞きたいなと思い、当時、新譜が出たばかりでアルバムを聞きまくっていた大阪のMASTERPEACEを呼ぶことにしました。
山形の龍岩祭にMASTERPEACEを見に行き、ライブが終わって後藤さんに、声をかけました。めっちゃ緊張したのを覚えています。
今思うと、いや当時も「面識ないのに、いきなりブッこんでライブオファーとか無謀…」と思っていました。けど、やってみなくちゃわかりません。
『ローマ法皇に米を食べさせた男』で有名な高野誠鮮も言っています、「可能性の無視は、最大の悪策である」と。
うまくいくかはわかりません。けど、やったらやったで何かわかるものです。
ジャンルを混ぜ合わせる
イベントをひとつのジャンルに凝り固まったものにしたくなかったのです。
ライブやイベントで、ひとつのジャンルに特化したものは、それはそれで素晴らしいと思います。そのジャンルが好きな人にとってはたまらないでしょう。
けど、そこまでそのジャンルが好きではない「フラッとやってきたような人」からすれば、面白くありません。徹底的に特化しているために、自分が楽しめる余地を探し出すことができないからです。
そうではなく、例えば「友達のバンドが出るから」という理由で来た人にも、イベント全体を楽しんでもらいたかった。キャンドルでライトアップしてあって、フラワーのデコレーションがあって落ち着く雰囲気があったら、「友達のバンド」以外も楽しめますよね。サプライズというか、意外感も楽しみのひとつです。
ジャンルを徹底しすぎると時には窮屈。一つのことに徹底すると良いことだけでなく、悪いことまで濃縮されちゃいますし。そうならないように、いろんなものを混ぜ合わせて抽出した、「スープのような旨み」を作り出したかったのです。
初期衝動を忘れずに、自分が主体で楽しみを作る
自分好みの楽しみがないのなら、自分で作るほかありません。柏崎にライブハウスがないなら、自分でイベントを企画しよう。どうせやるなら自分が大好きなバンドを呼ぼう。
自分で作れば、全部好みのままに作れます。やりたい放題です。やりたいことが、形になっていくときの楽しさに勝る遊びはありません。
もちろん、いいことだけではありません。やりたいこと、好きなことをやる上でも面倒くさいこと、つらいことはあります。
イベントやるにあたり、吉井の区長さんと近隣の家に、挨拶に行きました。臨時の駐車場を借りました。
それでも、「路上駐車で近隣からクレームが来たらどうしよう」「誰かが飲酒運転して警察沙汰になったらどうしよう」など、心配はつきませんでした。
飲食や機材の手配、諸々の調整も難航します。
それでも、「やりたい!」「自分の好きなことはコレだ!」という初期衝動と照らし合わせて、面倒くさいに勝てば、やりきることができます。だから初期衝動を忘れずに、です。
これからも核を胸に
集落を100年後も残すのだって、自分たちが集落で生計をたてていくのだって、「できっこない、無理だ」と言ってしまえば、そこで終わりです。やらなければ、絶対に可能性は0%です。けどやりさえすれば、どんなことが起こるともわかりません。自分たちが考えなかったところで、道が拓けるかもわかりません。そうするには可能性を信じて、決してやめないことです。
私たちは好きなものがたくさんあって、てんでバラバラだと感じるときがあります。けど、それもまた味です。いろんなものが好きで趣味が多彩なほうが、訴える幅が増えます。いろんなものをごっちゃ混ぜに、けど核を忘れずに。
人生、なにをやっても面倒くさいこと、つらいことはあります。それなら、好きなこと、やりたいことを自分が主体になって、やっていきます。どうせなにやってもつらいなら、好きなことやったほうが良くないっすか?
イベントやって楽しいだけで終わらずに、気が付けたことがあって、それがこれからも核になっていく。イベントやってよかった。またフィードバックして、バージョンアップしたイベントをやります!そのイベントもまた、気づきになるはず!楽しみ!