鐵槌の独立宣言をうけて、自分の音楽趣味について考えてみた
大学生の頃、周囲の友達がハードコアやパンク、スカ、レゲエに傾倒する中、自分は音楽的なこだわりを持てずにいた。どのジャンルも一通りライブに行ってみて、好きにはなるものの、自分の「ルーツ」とまでは呼べずにいた。周囲のリアルなパンクスやルードボーイ、サイコビリーを見て、「自分はこんな風にはなれないな…」と思っており、ジャンルに染まりきれる人々を羨ましく見ていた。
そんなときに出会ったのが鐵槌を始めとする日本のスキンヘッドミュージックだ。
日本文化、とりわけ民俗学や日本神話が大好きで、同時にメタリックなギターサウンドやシンガロング好きだった自分は、鐵槌のサウンドにドンピシャでハマった。以来、ライブへ頻繁に行くようになり、若さにかまけて暴れて大声で歌って、そのサウンドを堪能した。自分もsardonic smileというスキンヘッドバンドを組んで活動するにまで至った、青春が詰まった音楽だ。
先日、鐵槌こんな投稿をした。以下、鐵槌のfacebookページより。
「人間五十年、下天のうちをくらぶれば」俺が求めたスキンヘッドの在るべき姿 、それは日本人のルーツにある。まだ無知な若僧の頃、海外のスキンヘッド ミュージックは男臭く、タフなサウンドとして俺の心臓を鷲掴みにしていた。そこには只、音楽だ…
Posted by 鐵槌 on 2015年12月28日
しかしそれは、あくまで海外のスキンヘッズ ムーブメントを日本に置き換えたものに過ぎず、多くの矛盾と違和感を産むことになる。
この一文に、大変僭越ではあるけど、「自分はこんな風にはなれないな…」と感じていた、当時の自分が重なった。昭司さんが考えていたことと、自分が悩んでいたことを重ねるのは大変、恐れ多いことだし、まったく違うことなのかもしれないけど…。中途半端な音楽趣味だった自分を救ってくれたバンドが、このように語っているのを見て大変、感じ入りました。
スキンヘッドミュージックの宿命として、愛国心や人種差別の問題は切っても切れないことだが、昭司さんの独立宣言を見ると、鐵槌がスキンヘッドであり続けることの力強さ、しなやかさを感じる。鐵槌の日本語詞の美しさ、骨太のサウンド、熱い歌声、そのどれもが、一段と唯一無二のものに感じられる。
やばーい!ライブ行きたーい!行って最前列で『儚き花よ』を歌いたーい!